安心日和第一番札所 幡川山 薬師院 禅林寺・トップイメージ
  • ■ 最寄りのバス停 ■
  • 幡川(大十バス)
    徒歩およそ5分
    • 第三番札所瑠璃光山 醫王寺
    • 第五番札所龍光山 釜滝薬師 金剛寺
    • 第七番札所寳光山 玉泉寺
    • 第十番札所岳原山 泉福寺
    • 第二番札所寳閣山 蓮花寺
    • 全体高野長峰霊場会 五胎健全祈願所
    • 第九番札所天徳山 大日寺
    • 第一番札所幡川山 薬師院 禅林寺
    • 第四番札所寳琳山 大観寺
    • 第六番札所瑞應山 満福寺
    • 第八番札所勅願山 惣福寺
    第一番札所 幡川山 薬師院 禅林寺
    • 御本尊 … 薬師如来
    • 御誓願 … ぼけ封じ
    • 御真言 … おん  ころころ  せんだり  そわか
    • 御詠歌 … うきまよい  るりのひかりに  てらされて
      御詠歌 … はれゆくくもの  はたがわのてら
      禅林寺は、俗に幡川のお薬師さんと呼ばれ、広く人々に親しまれています。
      今から1,200有余年前、唐(中国)の青龍寺の僧為光上人が聖武天皇の勅願所として建立されました。当時は七堂伽藍の精舎でしたが、建武以前に金堂を始め寺庫までも火災にあい焼失し、再興された後も、天正15年に豊臣秀吉の南征による兵火により再び焼失しました。
      その後、中興秀慶僧正が再興を志し、ご本尊を求めている時、遠く檜前の山中より、夜な夜な光輝くものがあり、不思議に思い登ってみると本尊の御首でした。同僧正はそれを捧持し、寺に移して、直ちに京都の仏師高慶に土で御尊体を作らせました。それが現在の御本尊です。
      特にぼけ除け、その他の病気にご利益あり、お薬師様の『わが名号ひとたび耳に聞くとき願いとどけん』の誓願通り、多くの人が救われています。
      本堂東側に、ぼけ除け地蔵菩薩様と、足神様をお祀りしています。境内の裏山には、約200年前より新四国八十八ヶ所をお祀りし、お四国参りの出来ない方や願事成就の為、多くの人々が参拝されています。
    心と水の行方  お風呂の湯01
      子供の頃に聞いた話が大人になっても自分の心の支えになっていることがよくあります。イラストレーターとして有名な柳原良平さんが、小学校五・六年生のころ担任の先生から聞いた話は、今も忘れられない人生の教えになっているそうです。
      ある日、先生はクラス全員を前にしてこんな話をしました。「いいかい、きみたちがお風呂に入ったとき、お湯を自分の方に向けようとして両手でかき集めようとすると、やってきたお湯は、横からどんどん逃げてしまうだろう。ところが、それと反対にお湯を向こうへ押し出そうとすると、お湯はしらずしらずのうちに、自分のほうに集まってくる。人間の生きかたもこれによくにているんだな。自分のことばかり考えて欲張ってばかりいると、友達もいなくなり、物も失ってしまうんだ。自分のことより人のために何かするということを考えていけば、友達もできるし結果として自分も幸せになれるんだ」  この先生の話を聞きながら、良平さんは、「なるほどな」と関心しました。そして自分もこれからは、そんな心がけで生きていこうと思ったそうです。もちろん、良平さんが先生のお話どおりに大きくなっていったかどうかはわかりません。でも人生の曲がり角に来たとき、いろんな悩みをかかえたとき、この先生のことばが、良平さんの頭の中をよみがえったのではないでしょうか。
    廻向と回向  お風呂の湯02
      仏事を執り行うときに廻向という言葉をよく耳にします。廻向と回向は、発音は同じで字は違いますが、一般には同じような意味で使われています。ともに亡くなられた方の菩提を弔うための儀式と受け取られていますが。廻向とは、仏教語大辞典には「@  方向を転じて向かう  A  (さとり)に向かって進む  B  向かわしめる  めぐらす  C  功徳を他にめぐらしさし向けること  仏教では一切衆生のさとりのために善行・功徳を積み向かわしめる行為」とあります。また、私たちは日常の勤行や各種の法要を営む時に、法要の最後に『  願はくは此の功徳をもって、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん  』と廻向文を唱えます。この一文は、形ばかりの善行を一時的にすることではなく、常に自分の心や、その身の行いを正して、慈しみの心をもって落ち着いて生きることで、「我等と衆生」自分を含めた生きとし生ける全てのものが幸せに生きられますよう努めますと、唱えるのです。
      ご先祖様のいのちをいただいて生かされていることに感謝し、ご先祖様を廻向し、善行を他に向かわしめる心を養うことが仏道ではないでしょうか。