安心日和第九番札所 天徳山 大日寺・トップイメージ
    • 第三番札所瑠璃光山 醫王寺
    • 第五番札所龍光山 釜滝薬師 金剛寺
    • 第七番札所寳光山 玉泉寺
    • 第十番札所岳原山 泉福寺
    • 第二番札所寳閣山 蓮花寺
    • 全体高野長峰霊場会 五胎健全祈願所
    • 第九番札所天徳山 大日寺
    • 第一番札所幡川山 薬師院 禅林寺
    • 第四番札所寳琳山 大観寺
    • 第六番札所瑞應山 満福寺
    • 第八番札所勅願山 惣福寺
    第九番札所 天徳山 大日寺
    • 御本尊 … 不動明王
    • 御誓願 … 手・足
    • 御真言 … なうまくさんまんだ  ばさらだん  せんだん
              まかろしゃだ  そわたや  うんたらた   かんまん
    • 御詠歌 … 大聖の  祈る力は  げに岩屋
      御詠歌 … 石の中にも  極楽とある
      不動明王は、大日如来のお使いとして仏法の守護にあたる御方です。衆生を保護し悪魔を降伏させる役目に就いておられます。眼を怒らし、岩の上に力強く立たれ、右手には剣を左手には索を持ち、大火焔を背負っておられます。右の剣は怒りや愚痴を切り払い、左の索で迷いの心を縛り取ります。また背中の大火焔は一切の煩悩を焼きつくす大慈悲をあらわしています。当山の不動明王は御誓願に依り、特に大地を踏ん張るもの(足)、索を持つもの(手)に御加護を頂くと伝えられています。
      当山は、古来より旧正月16日に、般若会修法を執り行い、御加護を祈願することを一大修法の日としています。
      昭和59年には境内に子安地蔵も安置され、近郷近在は申すに及ばず、多くの人々の信仰を集めています。
    いのちと健康  「いのち」と「祈り」01
      生きている、人間や動物・植物にはみな『いのち』があります。が、いまは人のいのちについて考えてみましょう。私達が『生きている』ということ『いのち』がある。ということであり、これが何よりもいちばん大切なものであるとうのはあたりまえのこです。中にはいのちより“金”だ…“もの”だとおっしゃる方も居られますが、なるほど金・もの・土地…などは生活していく上では必要なもののひとつにはちがいありません。とかく人は普段はあまり『いのち』の大切さなど感じないことが少ないです。ましてや大きなケガや病気の経験がない人は『いのち』または“健康”なんて実感はあまりありますまい。腹が減れば食べる、飲む、行きたいところには行ける。仕事でも遊びでもスポーツでも、畑へ山へ海へ、街や村。映画にコンサート…行こうと思えば自由に行くことができます。こんな自由に動ける体をお持ちのうち(方)は“健康の”ありがたさなんて頭の隅っこの方へ追いやられていることです。しかし、いったんこの“健康の壁”の一角が…、体の一部・腹でも頭でも腰でも足でも…不調が生じて(病気やケガ)きますと、何でやろ。こんなはずではなかった…なんて悔しい思いに気付きます。だんだん年齢が上がってくる(歳をとる)と歯が目が耳が血圧が酒が弱くなってきた、思うように動きづらい、数え上げればいくつもの不調不具合に気付かされるようになってきます。
    四苦八苦  「いのち」と「祈り」02
      仏教の教えの重要な柱の一つに『人間生きていくということは“苦しいことなんだ”ということについての八つの考えがあります。
      1)母の体内から生まれ出てくる苦しみ  『苦』
      2)だんだん歳をとってくることによって生じてくる苦しみ  『老』
      3)病気やケガによる苦しみ  『病』
      4)死んで行く苦し  『死』
      5)愛する者たち(親・兄弟・親戚・縁者…)が離別・死別していく苦しみ
          『愛別離苦』
      6)恨みや憎しみ・嫌いな者どうしが同じ村や街に住む・またはばったり出会わねばならぬ苦しみ『怨憎会苦・おんぞうえく』
      7)欲しいものが手に入らない苦しみ  『求不得苦・ぐふとっく』
      8)生きていく上で先の七つのような苦しみが盛んに起こってくる苦しみ
          『五蘊盛苦・ごうんじょうく』
    以上八つの苦しみを合わせて『四苦八苦』といいます。
    祈りの効用  「いのち」と「祈り」03
      これらの苦しみは人として生まれたからには死ぬまでつきまとってくるものです。避けて通ることはできません。これら八つの『苦しみ』の中でも『病』だけは、かなりの部分、自身の努力や気をつける(精進する)ことによって避けることができる部分です。病気・ケガ・災い・事故…など。例えば風邪をひかないように。腹をこわさないように。暴飲暴食を慎む。争いことをさける。事故に遭わないように気をつける。これも数えあげればきりがありませんが、ある程度は用心や努力によって救えることができます。これらのことがらは、なってしまった時はじめて反省や後悔がでてきます。養生する用心する。又は医者にかかるなど、いろいろためしてみたり、たのんでみたり…そんなたのみの1つに『祈り』が誰しも一度は思いつく部分であります。『祈り』は『病』だけではなく他の七つの『苦しみ』にも心の準備や安らぎにも共通しております。『苦しいときの神・仏たのみ』といいますが、せめて苦しい時だけでも仏様を訪ね、お参りしてください。
      野球選手や相撲などシーズン初めなどに必ずご祈願しますネ!心がおちついて試合に有利な心構え・心持ちが備わるのでしょう。
    ご縁をつなぐ  「いのち」と「祈り」04
      高野長峰霊場十ヶ寺では、それぞれの分野でお参りができます。『縁なき衆生は救いがたり』といいます。皆様方から申し出てくれなければ仏様でも近寄っていただかないとお目が届きにくいものです。お寺のお坊さんにいろいろな力はありませんが(力がある方もいらっしゃるかも知れませんが)修業や常の仏様との縁を通してまた“てだて(方便・お経・お札・護摩)”でもって皆様のお心と仏様との縁を結ばせていただく、お寺の本尊さまと皆様の橋わたしをさせていただく。お願いするのは勿論皆様のお心です。
      『健康十ヶ寺』の寺々の『第9番札所  大日寺のお不動さま』へご縁をつなぎにお越しください。苦しい時は勿論、嬉しいときも是非仏様にお伝えしましょう。ご縁を深めてまいりましょう。何かいいことを期待して…。