安心日和第二番札所 寳閣山 蓮花寺・トップイメージ
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  • 大野中(大十バス)
    南に徒歩およそ5分
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    • 第二番札所寳閣山 蓮花寺
    • 全体高野長峰霊場会 五胎健全祈願所
    • 第九番札所天徳山 大日寺
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    • 第六番札所瑞應山 満福寺
    • 第八番札所勅願山 惣福寺
    第二番札所 寳閣山 蓮花寺
    • 御本尊 … 延命地蔵菩薩
    • 御誓願 … 頭・知恵
    • 御真言 … おん  かかか  びさんまえい  そわか
    • 御詠歌 … 詣でくる  おほくの人の  まよひをば
      御詠歌 … みちびきたまへ  はすのうてなに
      海南市には『アリの熊野詣』と表現されるほどのにぎわいだったと伝えられる古道、『熊野街道』があります。
      当山は熊野詣の旅人達の安患の霊場として往来の人々の信仰を集めました。そもそも寶閣山蓮花寺は人皇第85代後堀河院の御宇貞応2年(1223年)、当時の高僧として有名なる、彼の明恵上人の開基に寄る霊場で、実に780有余年に及ぶ歴史を有する、由緒ある古刹です。
      御本尊は春日の御作『地蔵菩薩』ですが、地蔵とは『コワシャテイギャバ』の訳であり、この菩薩の御徳の広大なることをあらわされた、ご名号です。
      即ちよく一切の徳を蔵して衆生に御利益を賜り如何に罪障深き者も、たとえ信仰の機縁に恵まれぬ者といえども、一人も捨て置かぬと言う御慈悲が、十二のご誓願となって、人々の苦しみを代わって受け取ってくださり、お救いくださるありがたい菩薩様です。
      従って『地蔵菩薩』様は沢山のお宝を蔵しておられまして、智恵や、宝物を人々にお与えくださいます。また子供の守り仏でもあります。
      頭髪を切ってこの菩薩様に供えると、いかなる願望も成就させて貰えるという信仰から、近年受験の学生や、頭痛解消祈願、子宝授かり祈願の方々も参拝されます。
    延命地蔵菩薩さま  心の持ち方01
      蓮花寺の御本尊は『延命地蔵菩薩』さまです。
      皆様もご承知の通りお地蔵様は古くから六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)に堕ちた全てのものを救ってくださるという教えがありますね。
      お地蔵様には『 四十二応現・十二の誓願 』といって四十二のお姿に変身して或いは天人となり、或いは菩薩や声聞・縁覚となったり、男に女に、少年・少女・象や獅子・馬や牛・鳥類になったり、種々様々のお姿に応現して衆生を救ってくださると教えています。
      又十二の誓願といって、地獄・餓鬼道・畜生・修羅道に堕ちているものの苦しみを代わってくださる、又人間はいつも心が騒いで落ち着きを得られないで苦しんでいる、それを哀れんでお地蔵さまは方便を巡らして、落ち着かせてくださる。
      短命の衆生には自分の寿命をわけて長寿を得させてくださる、これが延命地蔵菩薩さまです。
      衆生が病気で苦しんでいると、自分が代わってその苦しみを受けてくださる。乱暴な権力者が出て、国民が苦しんでいる時、自分が代わって苦しみを受けて民衆を安らかにしてくださる。怨みをもった者から危害を加えられたり、凶悪な者から不慮の障害を与えられようとする時、その災害から逃がしてくれる。貧しくて、窮状にある者には、財宝を与えて救済してあげる。社会を美しくし、人を導くのに都合のよい地位を得ようとする者は、その希望を満足させてくれます。
      人間は必ず死を迎えますが、その臨終の時には、目の前に現れ極楽浄土に導いてくださる。等々、十二の誓願を立てています、すなわち『代 受 苦』の精神を発揮してくださるのです。
      以上がお地蔵さまの応現・と誓願であります、いろいろな私達の苦しみをお地蔵さまが代わって救ってくださるというお役目です。
    叡智と尺度  心の持ち方02
      私達は日頃日常生活の中で、誰でも大なり小なりいろいろな悩みや苦労が付きものです。それらの苦悩からいかに脱却するかによってその苦悩が和らげられます。その苦悩というものはそれぞれの皆様個々によって異なる事が多いですね。同じ悩みを抱えている方でも一つの悩みが人によって大変苦悩する悩みと 余り苦悩と感じない方がありますね。則ち感受性の強い方とそうでない方が居られます。
      人々はそれぞれいろいろな価値観を持っていますね。その価値観は人が生まれてから長い人生経験を積んで智恵が蓄積され、それぞれに『価値観 (叡智)』が形成されて行くと一般的に考えられると思います。その長く蓄積された自分の叡智が物事を判断する自分の『尺度 (基準)』になっているのでしょう。
      その自分が長い年月をかけて築き上げた判断基準 『尺度』が どのようになっているかによって、同じ 苦悩でも人によって大きく感じたり感じなかったり、人それぞれ異なっていく事に気づくことが大切だと思います。
    幸福度  心の持ち方03
      そこで真言宗を開いた弘法大師(空海)さまの書かれた『 吽字義 』という書物の中に【如実知自心】と言う言葉があります。
      すなわち、『実の如く自心を知るは  則ちこれ一切智智なり』。
      又、十住心第十という処に『実の如く自心を知る  これこの一句に無量の義を含めたり 竪には十重の浅深を顕し  横には塵数の広多を示す』。又、性霊集九  諸有縁衆に 『もし自心を知るは仏心を知るなり  仏心を知るのは  衆生の心を知るなり  三心平等なりと知るは大覚と名づく 』とあります。
      ようは自分の心の中(自分という人間)を一生かけて探求し、知る事が大切ですと教えていると思います。
      他人さまからみた相手という存在は他人さまが持っている目や知識から見た存在であります。あくまでも相手は自分の事や存在は自分が一番よく判るはずですが 弘法大師さまはその自分という人間をありのままに見つめる事、を強調していると考えられます。
      自分という存在はオギャアと生まれて現在まで生きている自分の存在です。自分の存在感やこの世に生きていた自分が果たして幸せであったのかどうか、幸福度を知るたため一度、自分の人生の『幸福度』について考えてみましょう。
      今まで生きてきた自分の存在感を改めて見直す事により、何歳の時に一番幸せな時代だったのかよく理解出来ると思います。
      その幸福度を調べるために一枚の紙をご用意ください。一枚の紙に縦軸に1〜10迄の番号を書き、 則ち幸福度を10段階に分けて順位をつけていきます。数次が大きい程幸福度は高いと考えます。又、横軸に自分の年齢を1才〜現在までの歳数をとります。
    幸福を保つために  心の持ち方04
      そして生まれた時から現在の生きている年齢までの 幸福度を測定してみてください。
      すると、矢張り、その年代によって幸福度が高い場合と低い場合またその中間の場合など、生まれた時から現在の年齢に至るまでの幸福度が点で描かれそれを順番に結んで行きますと、いろいろ形をした折れ線グラフになると思います。
      昔の辛い時期や青春時代の楽しい想い出などを描きながら測定してみてください。その幸福度を測定した結果、今後ともこの幸せな幸福度を保つためには、今、自分は何をしなければならないか。
      又、自分だけで無くパートナーであったり家族であったり、社会であったり、いろいな場面を想定して考えてみる機会をつくってみてはどうでしょうか。
    寛容な心  心の持ち方05
      私達は日常生活の会話の中で『腹を立てる事』も多々あると思いますが、これも先に申した通りお互いの考え方の『物差し・尺度』によって、腹の立つ事と立たない時があると思います。
      よく『寛容な心』でと言うように相手との会話の中で対等に話し合っていますと、則ち、同じ『目線』で話し合うと腹立たしい事が一向に衰えませんが、相手の言う事をよくよく聞き、自分は相手との考え方は少し違うのだと認識して会話していくと相手の話題も同等レベルで考えるので無く、壇上に立って考えると、そう腹立たしく感じないものだと思います。
      すなわち寛容な精神状態を保つ事によってその立腹を緩和出来ると考えます。
      人によっては一度、あの人は嫌いだという先入観念があればあの人の顔を見るなり嫌になるわけですね。
      自分自身の方が高い思考の次元にあると認識していれば、相手は未だ少し低次元の思考能力しか持ち合わせが無いのだからやむを得ずという気持ちや考えになり、そう思っていると会話中の中でも歯車がかみ合わない腹立たしい時でも、寛容な気持ちでいられるのではないでしょうか。ようは心の持ち方でいろいろ変わってくると思います。
    関心を持つこと  発見の巡拝へ01
      この高野長峰霊場を巡拝しても何も自分に得るところが無いと考えて参拝してもよい功徳は伴いませんが、今日の参拝で『何か得よう・身に着けよう』という考えでお参りしますと『新しい発見が』そこに見つかり、 この功徳が蓄積され自分の思考の肥やしとなると思います。
      又、弘法大師(空海)さまのお言葉の中に 『医王の目には途に触れてみな薬なり  解宝の人は礦石を宝とみる 』 とありますが、医学を志している大家は道路を歩いていて、道ばたに咲いている草花をみて、この草は○○○の薬草になるとか○○○の草は○○○の病気に効くとか…、又  宝石の分析に詳しい人は道路に転がっている石コロを見て、この石は○○○の宝石になる、この石も○○○の宝になると 何気ない路傍の石コロに出合っても、いろいろな知識を身につけていますと、全て自分のもの知識として取り入れてしまうというお言葉があります。
      私達は普段何気なく道ばたを歩いて足下を見ても、只の雑草や石コロという概念で認識してしまい、これが何に効くとか、これはどんなお宝になるとかを感じられませんが、いろいろ関心を持って歩いていると、お宝が一杯転がっていると言う事を改めて発見するという事ですね。
    二種の秘密  発見の巡拝へ02
      又、弘法大師(空海)さまは『弁顕密二教論』の中に、二種の秘密について、『一には衆生の秘密、二には如来の秘密なり』という事を述べています。
      『如来の秘密 』とは、仏様は何時でもいろいろ仏の教えを『発信』していますが、この方には少し難しいかな、もう少し優しく、発信しましょうと仏様の方でコントロールしてくださいます。機にかなって薬を施すと説法してくださっているのです。
      『衆生の自秘』とは、自分が未だものごとを探求出来る智慧が具わっていなく、自分でその能力を充分発揮出来ていない状態を言いますが、言い換えますと、仏様はすべての衆生に何時でもどんなときでも平等に、仏の教えや・智慧を発信してくださっているのですが、私達が仏様から発信される電波を受信出来る優秀な受信機を持ち合わせていない、則ち、何でも発信された電波を受信出来るようにその受信機の性能を向上させて行けば、仏様からの教えや智慧を吸収・受信出来ますよ…と言う事です。
      普段からいろいろな処で発信している電波を何時でも受信出来る状態に調整・整備していく事が、最初の自分の思考や知識の向上に役立ち、寛容な精神つくりの発展に繋がっていく事でしょう。
      その為には、一生懸命・真面目に人生を歩んで行く事、そうしますと仏さまの功徳『如来の加持力(仏様の目に見えないパワー)』を頂く事が出来ると信じます。
      この世は自分一人では生きていけません、ありとあらゆるところのエネルギーを頂いてお互い助け合い、生かされている自分に気づいて生きていく事が出来るのではないでしょうか。
    気づき  発見の巡拝へ03
      信仰とは『広辞苑』には  信じたっとぶこと。  と書いてありますが、信仰と言いますと、神仏に妄信しているようなイメージがあります。
      又、『信』とは、これも『広辞苑』によりますと、  @欺かないこと。言をたがえないこと、まこと。  A思い込み疑わないこと。  B宗教に帰依すること。  C伝達のための手段。等が書かれています。
      又、『信に入る』とは、人間わざとは思えないほど、技術などがすぐれている。また、そのような勝れた段階に到達する、となっていますが、私は、信とは、先程も述べました通りいろいろな霊場など、お参りして『はっと気づく』事、この事が  信  であると思うので、これを信じなさい、とか、これを信じると○○○に効く、とか、こんな御利益があります、とか、相手から強制的に信じなさいとか言うもので無く、自分で、自分のハートで、又、自分の五感(五官)に触れ、『はっと気づく』ことが、信仰のスタートでもあると思うのです。
      この『信』と気づくのは、若い時でもなく、年輩になった時でもなく、自分の人生の中で何時でも何処でも、どんな処でも、気づく時が最も大切だと思います。
      人それぞれいろいろな方がいらっしゃいます。 自分自身で探し当てて頂きたいと念願いたしております。
    発見の巡拝へ  発見の巡拝へ04
      是非一度、このいにしえの高野長峰霊場を巡拝して沢山の電波を発信している  仏様や自然・人  と出会い、いろいろなパワーを頂いてください。貴方自身どんな事でも何か新しい発見に 出会得る事が出来れば嬉しいです。お気をつけて…。