- 御本尊 … 十一面観音
- 御誓願 … 無病息災
- 御真言 … おん まかきゃろにきゃ そわか
- 御詠歌 … 大乗の 祈る力の 大観寺
御詠歌 … 生石の山里 極楽ぞあり
当山は高野山系に分脈する長峰山脈の、県立生石高原の山腹に位置します。
高野山の開基以降高野山の末寺にして、賓林山観蔵寺と名付けられ開山されました。しかし、万寿年間(1204〜1228年)野上八幡宮の造営にあたり神領になり、次いで神野荘に属し、鳥羽院領〔康治2年(1143)〜正治元年(1199)〕になりました。
のち、約56年程を経て、神野荘が高野山の寺領に復しています。
室町時代、文明18年(1486)浄土真宗の蓮如上人に住民が帰依していったために当山は荒廃し、無住の狐狸の住み家となりましたが、天正18年(1590)豊臣秀吉が天下を統一し、高野山が寺領政策を強化しはじめた当時、住民は、真言密教に改宗させられました。その頃、御本尊十一面観音像〔吉野朝(14世紀)時代の作〕が修理され、住民の有志から団地が当山に寄進されています。
明治12年に堂宇が倒壊し、無住と化しましたが、明治39年、隣地で同宗派の光明山大師寺と合併し、今日の寶琳山大観寺と名付けられました。
本堂は、観蔵寺時代を経て、昭和55年に再建されたものです。
御本尊、十一面観音は、昔から霊験あらたかに、諸願を成就させています。
更に、当山には奥の院として、紀伊績嵐土記には『石立不動』と記される、『立岩不動』があります。こちらでは、例年2月28日、諸願の祈祷護摩を焚き、大餅投げを修しています。